進学をやめない理由(という自分への言い聞かせ)

学振(DC1)申請書を提出した。
 
なんとか自分が1st authorの論文もsubmitにこぎつけた。ので、あくまで「参考」としながらもがっつり太字で研究遂行能力欄に書いてアピった。
 
とりあえず、まじでしんどかった。
 
何回後悔すれば気が済むのかってくらい進学決意を後悔した。
 
「じゃあ今からでもやめればいいのでは?」
 
ってのはその通りなのだが。
 
今回は、この前書いた要素として挙げられる物ではなく、自分のパーソナリティとかメンタリティに根差した部分での、進学した理由について書きたい。
 

運命論的な

 
なぜ進学するのか、それはもうさんざん言った通り「ボスに言いくるめられた」からなのだが、なぜ後悔してるのにやめないのか、というと、ある程度具体的な形で選択肢として形成されてしまったからだと思う。
 
ボスと顔を突き合わせて、真剣にD進のことを話した時点で、D進が「選択肢」になってしまった。つまり、それまでは選択肢ですらなかった。
 
選択肢になったということは、選択を行う必要があり、選択という行為は少なからず後悔を含むものだと自分は考えている
 
要は、「あの誘われたときD進しておけばよかった」という後悔を消すためにD進した。
 
逆のパターンの後悔ももちろんあるが、どうせ就職するのなら、致命的なものはないと判断した(3年早く就職することでしか得られないものがあんまり思い付かなかった。結婚とか?)。
 
社会人ドクターも考えなくもなかったが、どう考えてもしんどいし、やっぱりそのまま進学するのとは別物だろうし。
 
だから自分がなにかを恨むとすれば
 
・あのとき進学という選択肢を出してきたボス
 
・自分が、博士なんてあり得ねーよという考えをもつようなパーソナリティを形成できていなかったこと
 
になる。
 
前者に関しては、間違ってもボスには見せられない。ごめんなさい。あくまで恨むとしたら、なので本気で恨んではないです。たまに考えるくらい
 
後者に関しては中々哀しいものがある。もちろん良い環境ゆえというのはあるにせよ、勧められたら進学を選択肢として考えてしまう人格だったということ。ポジティブに考えれば凄く良いことなのかもしれないけど、なんか泣ける。もっと大多数の人が選ぶ選択肢を迷わず取る人間でいたかった、ってのが多少ある。
 
まあ、1番の問題は、24になってもやりたいことが特にないとか言ってる自分にある。
 
つまり自分のD進はいわばモラトリアム延長なのである。どうしようもねえ
 
D進って日本におけるモラトリアム最長ルートなのでは???
 
とりあえず、結婚できるんかな~~~~~。